粟粒結核という変わった結核になったので参考にしてください。

あのね帳
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専門学校一年の終わり、微熱がでた。風邪だろうと思い、
ほたっていても治らない。病院に行っても風邪だといわれた。
しかし、この微熱が原因不明のままずっと続くこととなる。


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私は、田舎から上京しファッションデザイナーを目指すべく
東京の服飾の専門学校に通っていました。

まあ、ぼちぼち標準語にも馴染めず、、、と思っていたが
今思い返せば、意外となかなかいい友達ができていたなあ。

同じクラスの一部の女子には嫌われていたが、学校のイベントであるファッションショーのモデルをするようになって、他のクラスの人とも話すようになり、それがとてもいい友達と巡り会えたので

そこそこ楽しかったですね。

そしてなぜ、病気になってしまったのかというと、
病院的には、判明できずでした。

私は、寮にはいっていたのですが、その寮は、学生寮ではなく、学生、社会人兼用の寮でしたので、
同じ学校の人は、自分ともう一人の二人だけでした。

そこでは、夜ご飯は寮のおばちゃんたちが作ってくれて、なかなかいい食事は食べれていました。

しかし、それをいいことに昼間は、「夜ちゃんと食べているから、昼はカップ麺でいいやと、
ほぼ毎日カップ麺だったような気がします。

それが、自分的、病気になった原因の一つと考えています。

病院的には、寮で感染したのでは、と考え寮の人に聞いてみたそうですが、
他に感染している人はいないということでした。

自分は、まず微熱が出ることからはじまったのですが、
そのきっかけは、

「運動しよう!!」

とおもいたったことから

夜、寮のとなりにある公園に行き、外周を結構ハードに走ったことでした。

その後、微熱がたしかではじめたと記憶しています。

そして、ちょうど、冬休みかなんかで、帰省した時に病院いったのですが、悪い所も見受けられず、
風邪だろうという診断を受けました。

そしてまた、微熱の続く中(ちなみに自分は微熱くらいは平気なたちでしたから、あまり気にはならなかったのですが)

学校に通っていて、、、

いつの日か急に「胸」が痛くなったのです。

呼吸をすると痛い、吸うと痛い!

とにかく痛いので、病院にいきました。

なんだか、そのときは、具合もすごい悪かったですね、たしかきつくて、待合室のソファに横にならないときつくて、しかも患者がおおくて、何時間も待たされた気がします。

そして、あまり記憶はありませんがレントゲンを撮ったようで、やっと診察の順番が来た時に、急に車椅子がでてきて、運ばれました。

そして、救急車に何故か載せられ、五分先の同じ病院の入院の方の病院へ連れてこられました。
そして、診察、あまり当時のことは覚えていませんが、

今でも胸に焼き付いている言葉があります。

このレントゲンを見たとき死んだ人のレントゲンかと思った!

と先生にいわれました。

レントゲンを見ると、肺に散らばったブツブツが素人目でもわかるほどいっぱいありました。

よくはわかりませんが、これは、結局薬をのんだらすっと引いていき胸の痛みもあっという間に消えました。

そこから、そく入院生活が始まったわけです。

しかし、胸の痛みもなく、微熱もなくなり、とても元気な10代男子、じっとなんてしてられません。

退屈でしょうがありませんでしたね。

結果、元気なので病院から学校に行ってもいいという許可がでて、しばらく病院から通学することができました^-^

ここもあまり記憶がないですね。

あまり長い期間かよった気がしない、とりあえず半年その病院にいたのですが、

ありとあらゆる検査を受けました。なぜかというと、病名がわからないのです。
CT,MRI、ほかの病院にもいってなんか検査をしましたが、
半年たって、やっと結論に達したようです。

それが、「粟粒結核」という一風変わった病気でした。

ただの結核なら、風邪と同じで人に移してしまうので、すぐ隔離されますが、しかし、薬で3か月ほどでもう治って退院できる時代。

僕からは、菌が一切でず、咳も出ず、だれにも移すことのない周りの人には無害な結核でした。

なので隔離もされず、普通の入院部屋で、ゲームボーイをしたり、公園をあるいたり、病院内をうろちょろするばかりの日々がつづきました。

ちょっと何回かに分けて書くことにします。
続く

 

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