ひな祭りに関する昔と今の心温まるいい話、鶯宿梅と桧原桜

あのね帳
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ひな祭りの前に飾られているお花は、左に橘と右に桜がありますよね。

それって平安京の京都御所の紫宸殿を真似しているといわれているのです。

京都御所

このように橘と桜の木が植えられているのです。
それぞれの近くに、近衛府として、左近衛と右近衛が配置されていたため、

これらの木も、左近の桜、右近の橘(紫宸殿から見て)と呼ばれるようになりました。

しかし、その桜の木のところには元々は「梅」が植えられていたのです。

それがこの物語に書かれているのです。

「鶯宿梅(あうしゅくばい)」

村上天皇の時代に、清涼殿の前の梅の木が枯れてしまったので、代わりの木を探させたところ
京じゅうをさがしまわったそうですが、てきとうな木がなかったのですが、

西の京のどこそこにある家に、色濃く咲いている梅の木で、姿かたちの立派なのがあったので
堀取り出したところ、

その家の主人が

「木に、この歌を結び付けて持って行って参ってください」

とおっしゃるので、何かわけがあるのだろうと。とおもって、清涼殿へ持って帰ったところ、

天皇が、「それは何か」とおっしゃって、
ご覧になると、女性の筆跡でこのような歌が書いてありました。

勅命ですから、誠に恐れ多いことで謹んでこの木は差し上げましょう。
しかし、いつもこの木に来なれている鶯がやってきて、
「私の宿はどこへいってしまったの。」
と尋ねたら、どう答えたらものでしょうか。

と書いてありましたので、
天これを読んだ天皇は、深く恥、梅の木を返して、代わりに桜を植えたということです。

とても心温まる、大和心というべき話ですが、それも昔話なんでしょう?とおおもいでしょうが、

なんと、現代でもこんな話があるのです。

昭和59年のお話し

福岡市南区桧原(ひばる)というところにある数本の桜の物語です。

車の離合できないような狭い道路の為に拡張工事が行われようとしているところがありました。

そこには、9本の桜の木がありました。

その工事で、枝いっぱいに蕾をつけた一本の桜の木が伐られてしまいました。

それに、心を痛めた一人の男性(土井さん)が
翌朝、桜の木の幹に、あるものを結び付けました。

それは、

「花守り 進藤市長殿

花あわれ せめては あと二旬 ついの開花を ゆるし給え」

という桜を惜しむ歌が張り付けられていたのです。

「花守り」とは花の番人という意味、「二旬」とは二十日という意味

(道路工事はやむえない、でもせめて、あと二十日だけ工事を止めて、最後の花の開花を許してほしい)

という陳情だったのです。

これにより、なにかがかわるとは、土井さんはもおもってはいなかったが、

それがそれが、すぐその思いが伝わっていくのです。

まず、それを毎朝ジョギングしていた、九州電力の社長が、それに気づき、

それを広報担当に相談した。

その広報担当もきになり、桜の木の歌をみに桧原へ。

その担当もまた、誰かに相談し、また誰かが思いを受けついだ。
そして数日後、事態は、予想しなかったことになっていたのだった。

土井さんが新聞を見ていると、

新聞の社会面に大写しで紹介されていたのだ、自分の歌が!

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九州電力の担当が連絡していたのは新聞記者だったのだ。
そして、この記事は、土井さんの宛名の「進藤市長」のめにも留まることとなったのだ。

進藤市長は、次のように語っている。

「行政が進める、拡幅工事の公益性は知りつつも、せっかく蕾を膨らませている桜の老樹に、
せめてつい(最後)の開花を許してくれと訴えています。風流心とはまさにこのことです。」

風流だとは思う一方、どうすることもできない心情も吐露していた。
私情だけで公共事業をむやみにやめるわけもいかないのです。

しかし、記事を見た後、桧原の桜を実際見に行った市長の目に飛び込んできたのは、

土井さんにつづけとばかりに、新聞記事を見た多くの花を惜しむ色紙や短冊を
桧原桜に寄せていたのだ。

花を惜しむ一人の思いは、いつの間にか大きな思いになっていた。

そして、土井さんやみんなの心に返答した、市長の歌がこちら

「桜花 大和心となん言いし 永久に匂えよ 歌に結ばれ」
(桜の花は、日本の心、歌によってその匂いは永遠になってほしい)

市役所では、土井の歌を受け、一時的に工事を中止し、協議を重ねていた。

桜は植え替えが難しいといわれる植物。
移植には相当の予算がかかる。
更に年度末の工事だったため、三月中に終わらせなければならない。

問題が山積みだった。

そこへ、進藤市長が工事の進歩を確認にやってきた。

期日までに工事は終わらせるという、担当に、市長は驚くべきことを言った。

「できれば桜を残すことはできんやろか」

一人の思いが、いろんな人々を経由し、市長の心までたどり着いたこのリレー

現在、桧原は拡張工事ですっかりひろくなった道路、

 そこには今も悠々と咲き誇る桜の姿があります。

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桜がある側に、道路を広げるはずだった計画を、予算ははるかにかかるけど

反対の池を埋めて広げる方向に変更。

さらに池側にあった桜の木も職人たちの協力を得て、伐ることなく残されたそうだ。

桧原の桜の傍らには、土井さんの歌が刻まれた石碑がたてられて、

その横には、進藤市長の歌も刻まれている。

歌に、歌で返す、市長も粋ですね。

大和心があふれる日本、それを象徴する桜の木

のおはなしでした。

この話で、少し違ったひな祭りの気分を味わっていただけたら幸いです。

 

 

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